第4回 「稽古は強かれ、情識(じょうしき)はなかれ」
世阿弥はこんな言葉も残しています。
「研修は強くせよ。頑迷な慢心を持つなかれ」
これは風姿花伝の「序」に出て来るものです。情識(じょうしき)は「慢心」とも訳されています。懸命に稽古(研修)を積め。慢心するな。と私は解釈しています。
六十三歳になり、リタイアを果たした私にとって、一番胸に刻むべき言葉ではないかと思っています。
~稽古に励み、思い上がった心を持たぬよう~
書くのは簡単ですが、実際は難しい。私たちは、話力で出講すれば「先生」と言われます。ましてや話力を学び出した歴史が古いこともあり、私は研究所では理事を仰せつかっています。これが到達点と思い上がったら話力はしぼみます。心格力、内容力、対応力、この相乗効果が話力であるはず。日々、努力の積み重ねが肝要と思っています。
リタイア後、幸いなことに時間はあります。一日一時間は話力関係の本を読む、講座出講の準備をする。そのために充てています。
ちなみに世阿弥が言うところの「稽古」とは、練習を積むこともありますが、先人の教えを学ぶ、という意味も含まれています。
一日で読めてしまうハウツウ本ではなく、古典と呼ばれる書物をじっくりと読む。これも稽古につながると、私は確信します。直接話力とは関係があるとは思えないジャンルでも、それが回り回ってどんな示唆に富むものになるかは、自分次第です。
私は今、若い時に読んだデール・カーネギー「人を動かす」を読み返しています。人に動いてもらうには、その人の良いところを見つけ褒める。言葉にする。自分のして欲しいことを押し付けない。説得の教科書として、こちらも大いに参考になります。