第6回 「狂う所を花に当てて、心を入れて狂え」
少々物騒な言葉ですが、世阿弥は「心を入れて狂わないと、人の気持ちは掴めない」と言いたいのです。能の世界での物狂い――とは神様や仏様、生霊・死霊などの祟りで憑霊した状態です。結構人気がある演目のようです。
狂乱、狂気を演ずるので「心を入れて」狂わないと、思いは観客に届くことはない、恐らくはそう言いたいのでしょう。
その世界に引き釣り込むには、熱情を入れて取り組む。とくに憑依のためなのか、悲嘆なのか物狂いの分別をしないで、ただ一本調子の狂乱の演技をしていたのでは、観客の共感をえることはできない。
原文では「およそ、物狂ひの出で立ち、似合いたるように出で立つべきこと、是非なし。さりながら、とても、物狂ひに託(ことづけ)せて、時によりて、何とも花やかに出で立つべし。時の花をかんざしにすべし」とあります。
それ相応の華やかさを忘れてはいけない。私はこのように解釈しています。
世阿弥は当時、この世界では売れっ子でした。皇族や貴族に多くのパトロンがいました。しかし、現状に甘んずることなく常に斬新な芸を追い求めていた。
話力を学ぶ者としても、この姿勢に感ずるものがあります。
世阿弥の研究者は「世阿弥はイノベーター(革新者)だった」と現代風に高く評価している向きもあります。改革は良い意味での狂い、が必要なことを教えてくれます。