第 11 回 『秘すれば花』
世阿弥が残した言葉の中で良く知られているものの一つです。
「秘する花を知ること。秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
秘めておくからこそ花なのであり、秘めずに見せてしまっては花ではない。あらゆる事、もろもろの専門・技芸において、その家ごとに秘事と称するものがあるのは、秘密にしておくことによって、絶大な効用が生ずるからである。
これは世阿弥にとっては「戦術」「戦略」だったのだと思います。毎回毎回観客に見せてしまっては飽きられてしまいます。新しく、珍しいからこそ「花」であり、観客を魅了することになります。
世阿弥は「花とは要するに目新しさだ」と言っています。「観客は意外に興趣のある上手だ」とばかり感じて、「これが花なのだ」ということさえも気がつかないのが、演者の花であるわけだ。といったわけで、観客の心に、思いがけない感銘を与えるような手段が、花なのです。
「風姿花伝」には花、が何度も取り上げられます。私にはこの「秘すれば花」は「珍しさが花」と一体ではないか、と思えて来ています。
ちなみに「風姿花伝」の解説本で、中には「秘すれば花」をともかく隠せば良い、ように解釈しているものもあります。ここは正しく理解をしておきたいところです。
「話力に生かそう風姿花伝」は次回で完結することにします。最終回は「風姿花伝」で最も有名な言葉を取り上げます。